洒落たい最近

神戸で靴を買ってから洋服も買いたくなって物欲がでゅるんでゅるんになっている。あぶないあぶない。セーブしたいが、こうなると我慢できない。少しずつ買ってしまうだろう。安くて良いものを大量買いして今自分の着ているもの全てガラッと変えたい。

今日は休日だけれど昼以外は結局仕事。見積もりとパネルデータ制作。グラフィックデザイナーではないからレイアウトを悩み考え、あまり進まず手をとめてしまった。明日朝早く会社いってやろう。どうしたらいいかわからない。うーむ。

昼には地元の友人と久しぶりに再会。もう10ヶ月目でおなかも大きかった。「いつ生まれるの?」ときいたら「明日か明後日!」と言われ戸惑う。まさかそんなタイミングで会っているという思わなかったから驚き笑ってしまった。無事に元気な子供が生まれたらいい。男の子の母というのがピッタリな気の強いパワフルでしっかりした女性なのできっと健康な子を産むだろう。
小学生の時から知っている子が子供を産むというのはなんとなく信じがたいし、自分は結婚ですらまだまだと思っているから人生いろいろだなと思う今日この頃。

goukaku、そして神戸へ

志望した学校に合格した。また4月からは新しい生活。会社は続けたいけど残業量と職業的に無理かなと思い3月末でということをボスに申告。するとなんと残る選択肢をくれた。空間デザインと建築は似ているようで全然異なる分野なので、私が建築を勉強し学校を卒業したらおそらくこの会社には残らないであろうことも伝えてみたが、それも含めた上で残らせてくれそうだった。驚いた。どうなるかわからないが続けた上で学校も通おうと思った。しかし勉学優先なのであまりにも支障が出るようならおさらばしようと思っている。自分で高い学費を払って通うのだ。仕事は優先できない。
新しい環境で色々な人と話したい。人見知りな私にできるだろうか。出だしは服装を整えて小奇麗にしようと思う。第一印象は大事だから。
今週の土日は神戸に行ってきた。
エスカレーターの立つ位置をうっかり間違える。関西はそうであったと気付く。
歩いているとちらほら聞こえてくる関西弁。なんとなく癒される。

宝塚のトップのトップスターの退団公演に行った。あのメイクは体に悪そうだし、きっと体力面でも精神面でも並々ならぬ努力と苦労をしてきたのだろう。そう思うと泣けてきた。とてつもないパワーを感じた。演じている役柄とかではなく、人としてかっこいい。もちろん美貌も半端ではない。
神戸で新しい靴も新調。いつも気に入ると履き潰してしまうので、今回は気を付けよう。


そんな訳で明日から会社だ。神戸から帰ってきて明日上司にみせる用の検証データをまとめる。
合成すると天井が木調というのが意外としっくりくる。そうなると壁をどうするかという問題。ダーク系の色なら影もきれいに出そうな気がする。
現実的に天井黒もよさそう。アングルをシートで巻き込むにしても天井白系だとなじまなそうだ。というか目地のようなものが目立ってしまう。
実際照明をどう当てるか何灯いれるか、スポットの角度が決め手になってくる。合成でみても実際はどうかなと思いながら。検証パターンを24パターン。少ないかな。さて明日みせてどうなることやら。

新しい風

ここ3日間の連休についてを残す。
学校説明会に行ってきた。このような勉強をする、設備や環境はこのような感じで、ごにょごにょと説明をうけた。この環境が私にとってきっと刺激を与えてくれるに違いないという確信と少しばかりの不安事項がちらほら。これからのことを頭で考えていくと色々なことに余裕がない。しっかりせねば。
久しぶりに友達に会った。東京駅でインドカレー屋さんへ。最近のものづくりの傾向や概念、ビーバーの聡明さ、おすすめの本、近況報告などを話す。コロタイプ印刷という昔使われていた手法の印刷方法について聞く。内田樹をすすめられる。私が読んでいる「建築家なしの建築」について少し計り話す。
その後別れ、宮川くんと2121の「活動のデザイン」を見に行く。マスード・ハッサーニの地雷を粉砕する装置は素晴らしいと思った。これはメリットしか生まない唯一無二の作品だ。簡単に制作でき(誰でもつくれる)、簡単に壊せる。持ち運びができ、人が被害に合う機会を減らす。アーティストのつくった作品が世界貢献をするという良い例である。なにかをつくる人・アーティストというのは本来こういうことをするために制作を行っている場合が多い。
それは社会的に起こっている事象へのリアクションであったり、アピールであったり提案であったりする訳なのだが、それは自己満足的であってはいけない。それは他者への訴え・伝える行為なのであるから「伝える」ということも一緒に考えなければならない。
この作品は「提案」にあてはまる。これを使ったらもっとよくなるのでは?という提案。
この類のものは科学技術系の製品に多くそこでしかつくれないというパターンが多いが、これは「誰でもつくれる」ということがよいのである。ある情報があり、そこから自分たちの手でつくる。それは間違会いなく自分たちに必要なもので、世界をよくするためのもので、広まっていくべきものづくりなのだ。しかし、その地雷もまた人によってつくられたものであり、その当時は然るべき目的がありつくられたのだと、そう考えると複雑であり恐ろしく感じる。
3連休の最後の日は家でのんびりと過ごし、親に学校に通う事を報告。やるべきことはやった。
さてあとは試験にむけての勉強である。まだ書きたい気分だが、そろそろ寝よう。カチッ。