読了記録「スキップ」

北村 薫さんのスキップ、読了。
実はこれ読むの2回目。確か高校生の時に読んだと思う。
なんか物語の内容は忘れてたんだけど、表紙の絵だけ異様に覚えていて。
女の人が螺旋状の階段塔を上がっていて、女の人が歩いた後の階段は外れて下に落ちていってる絵。
裏のあらすじを読んで、あ。これ読んだ。と思ったんだけど。なんかまた読みたくなった。
簡単にいうと高校生の女の子が急にタイムスリップ?して未来の自分(40代の教師をやってる)の現実に馴染まなくてはいけなくて、前向きに進んでいく強い女の子の話。


印象的なのは、過去に戻りたい、戻る方法を探すのではなく
今の自分の状況を知って、それとどう向き合っていくかをすぐ考える主人公は芯の強さ。


なんだろう、今コロナの問題がずっとあるけど、なんとなくコロナみたいな得体の知れない、見えないものについて考えることに皆疲れてきちゃっている現状がある中でやっぱり少なくとも「少し前のコロナのなかった状態」に戻りたいと思う感情があるけど


現状がどういう状態なのか見極めて、自分がどう動くべきなのか。
そんな中で自分はどうしたら、楽しめるのか。危機感を持ってとか自粛してればいいとかそういう問題だけでもなくなってきて、より現状の把握と気づきが大事なのかなと思った。


話は戻るけど。
小説の中で印象的な文章があって。


自分というのは、いつも定点にいるような気がしますね。いつか、ーーーそう、あなたなら17年の昔、時間があなたのところにふいに訪れた。あなたが生まれた。それから時間は、水のように後ろに流れ始めた。
そして、ある時、またふいに、自分という定点の向こうに行ってしまうのでしょう。
さようなら、と自分を洗って流れ去っていく《時》、透明な帯のような、もう自分のものではない、彼方の《時》。それに手を振っているわたしが目に浮かぶようです。



これは多分30になった私だから印象に残った言葉。だろう。
高校の時読んだとき、主人公に違和感があったし、
これネタバレだけど、「あ。結局戻れないんだ」ってことになんかモヤモヤした。
てのを読み終わって思い出した。
やっぱり感度や感じることは変化しているんだ。全部延長線上ではあるんだけど。


定点カメラのように自分は自分のいる世界や身近なものを見て、何かを考えたりするけど、そのうち例えば20年生きました、30年生きました、40,50と歳を重ねていった時にその定点となっていたものが少しずつ形を変えていたことに気づく。
そして時が流れている中で他者や色々なものを熟考していくうちに
自分が何かと同化していく感覚、時の流れから離脱していくような感覚、土に還っていくようにフラットになっていくのだろうか。さようなら、と潔く手を振る日が来るんでしょうか。誰かのために生きるということが当たり前になる年齢が来るんだろうか。
あまり未来のことを考えるのが得意ではない私にはどうなるのか全くわからないけども。


たまにこう道を歩いていると、例えば電車の中、人がいっぱいいるところでふと
この世に存在している人間すべてが全員誰かしらの女性から生まれていて
自分も女性で、一時期人生プラマイゼロだと言っていた時期があったんだけど
こうやって遺伝子となった0.2mmの卵が育って大きくなって、たくさんの命を取り込んで成長した大人の人間たちを俯瞰して見るとなんだか
遺伝子を残すこと自体が歴史を残すことになっているし、でもそういうことが当たり前に行われていることなんだよなー、全然ゼロじゃないなーと思うとなんか不思議な気分になる、


高校の時読んだ本をまた大人になってから読むのは初めて。
ほぼ全部忘れてたが、読み返してまた感じる部分もあったので
読んでよかった。


前日記にかいた屋台の設計終わり、みんなに共有したら
是非この形でやりましょうって感じになって
楽しくなってきた。今年はめっちゃDIYしてるな。
屋台の名前考えなくちゃ。


仕事はまあ変わらず。
以上。

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