模倣すること

アイディアとか考えというものはどういう所からくるのか。
私は誰もやったことのない事をやりたいとか、新しい事ができるとは思っていない。
大学の時はできると思っていたし、発想が変わっていると小さい頃から言われてきたのでなんとなく自分は特殊なのではないかと思っていた。でもそれは違うと、違ったと、ここ2、3年で思った。
本を読んだり、色々な人を知っていくうちに気づいた。自分が新しいと思っていることは大昔のうちにだれかが考え、概念を構築し、発表しているのだ。それでも、私はつくりたいと思う。大昔にやっているからといってその人に譲ってやろうという考えはない。そういうエゴと勝手な使命感がある。不思議だ。その人が出した結論と結果的に同じ答え(形)が出たとしてそれはそれでよいと考えている。というかなにかをつくる時にかっこいいデザインとか納まりを気にし過ぎたデザイン、新しい先進的なデザインというのは作品の価値に反映するものではない。

大学1年の時に、「デザインとは模倣することだ」と言っていた先生がいた。
聞いた時は衝撃をうけたが、大学を卒業し、設備関係の仕事につき、空間デザインの仕事をしていて月日がすぎると共に理解してきた。誰かを模倣するという事だけではない。
なにかをつくりあげる時には自分が今まで見てきたものや経験してきたことを知らず知らずのうちに
模倣しているのだ。そして模倣の仕方に複雑さが加わっていてプロセスがどれほど綿密で、社会に適合しうるかなのだ。多分それを成し遂げた人が天才とよばれている。
先生は多くのものを見て経験しなさいと言いかったのだろうと今では分かる。


最近、情報が氾濫している現代でひとつ良かったとおもうことは普遍のベースがゆらいでいるということだ。価値観や個性が混在する世の中。だが個性とはおそらく実態をもっていないし、簡単に個性や価値観と言えてしまう。
世の中に充満する幾多の情報に中からなにか情報を選出することや、たくさんの商品がある中でこの商品を選んだという消費が自分の個性とつながるわけではない。

考え抜かなければ方法がみえてこない。わかっている。悶々と考える。繰り返す。それをするしかないという独り言。以上。

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