ここに壁がたちます

はじめて日記をかきはじめる。何故日記を書くことにしたか、それは自分を分析し知るためだ。 自分の感情を容易に言葉にすることができないので、整理しながら書く。これはメモだ。 austoraというのは咄嗟に思いついた。アウストラロピテクスを勝手に略語化した。原始に帰る時間。austora timeとした。思いつきという事も有り、安易だがこれで良い。 早速、昨日の出来事について印象に残ったことを書く。 昨日仕事で建設途中の建物で打ち合わせだった。ガワはもう出来上がっていて、内部はほぼ大体の壁が出来上がっている。仕上げはまだで、壁はベニヤ剥き出しの状態だ。打ち合わせ兼現調も兼ねているので必要部分だけ寸法もはかった。図面で拾っている寸法と現場の寸法がピタリと合っていることはあまりない。手仕事なので致し方ない事だと思っている。 ある空間の床には、鉛筆らしき細い線で壁の線が描かれている。 「ここに壁がたちます!」と施工業者が言った。そう。鉛筆で書かれた線の所にはいずれ壁がたつのだ。「フム、そうなのか」といった感じで聞く人達は理解しているようにうなづく。 私はその一連を見て、なんとも適当だなという印象だった。線が立体になり壁になることを誰もが想像できる。それ以上でもそれ以下でもないのだ。もしかしたらこれはとてもつまらないことなのかもしれないと思った。 例えば、床に渦巻がかいてあって「この線の所に壁がたちます」と言えば「おい、ちょいと待てよ。」となる。想像がパッとできるだろうか。その壁は床から天井まであるのか、素材は何でつくるのか、厚みは?など自然と頭が引っ張られる。なんでだ?となる。そうなると結構おもしろい。 結果的に何が言いたいかというと渦巻が良いとかそういう訳ではなくて、簡単に想像できてしまうことがつまらないとそう思っただけだ。わかりやすいのは大事だが、簡単にわかってしまうようではいけない、というのが昨日の出来事に対しての結論。 以上。

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