1年_

今の設計事務所に入って、1年経ちました。
きっと自分でも気づいていない、多くのことが変わったんじゃないかという感覚があるけど。


拙いけど模型をよく作るようになって。
拙いけど図面を書くようになって。
担当案件もはじめてだけど今やっていてもう少しで出来上がる。
お客さんとか施工会社とやりとりして調整したり。
いろんな建築や展示をみにいって、インプットしたり。
プラスのこともある。


食べるタイミングが難しいから夜ご飯を食べることをやめて。
いつも日を跨いでから帰路についたり。
シラフでお腹の空いた状態で乗る帰り道の電車。
飽きたコンビニのラインナップ。
酔っ払って幸せそうに歩いている人を横目に歩いたり。
家に帰ったらシャワー浴びて最短距離で寝る。
たまに働くのが辛くなる。
なんのために。自分のためなのに。意思が。強いものが確かにあったはずなのに。


ずっと考えていて。
何にも迷わず実直に進めたらいいんだけど、前に進んでいるつもりがむしろ下がっていってるんじゃないか。
自分の信じているものが、自分の意思や考えや良いと思っていることが否定されたり自分の能力不足や潜在的な能力があまりに低すぎることに対しての存在感が心の中で増していて、自分の中の核が薄れて何にもなくなってしまうんじゃないか。とか考えてしまって。
凹むようなことがあると、1年前に違う設計事務所で言われた「君は建築向いてない」って言われたことを思い出す。
向いてないのに、意地はって続けてるだけなんじゃないかとか。しがみついてる。
こういうのは普段言葉に出さないようにしているけど、その言葉が呪いみたいに何か落ち込むことがあるとのしかかってくるというか。


「好きなことを続けられるっていいことよね」って言われるけど
大半が辛いことだよ。そんなこと言っても明日も働くしかないんだけど。
どうやったら続けていてよかったと思えるのか。
ここで何を得たいのか。ぶれずに考えたい。
でも今はなんか落ち気味。
あー、どうしたらいいんだ。精神的なものをなんとかしないと。

0話

時代が変わりましたね。
ほんと今年もあっちゅーま。
やりたいことや考えていることはたくさんあるのに、まだまだ実行できず。


ただ、仕事は今同期の女の子と二人で担当している物件があって
それは楽しい。小さい物件で、事務所的にはあんまり収益にならないらしいけど。
任せてもらえているから色々覚えていきたい。けど不安と楽しみな部分がごっちゃ。


GWは意外と満喫できた。
宮川くんを親に紹介。心配で心配で1年以上そういう話をちょこちょこ二人で話してたけど実際会ってみるとすんなり。親と食事したあと緊張溶けて、なんか二人でラウンドワンとか行ってワンカップ飲みながらボーリングしたし。144点とった。女子では結構いいスコアらしい。
あとは卒業した学校の人と狭山の方に建築探訪行ったりね。
宮城でワイン作ってる友達に会いに行ったり。
仙台の建築見たり。滝見たり。


建築めぐりしてそれはそれは素晴らしい建築見たんだけど
なんか。
これ行ったら元も子もないんだけど
やっぱり自然の景色にかないっこないなーって実感したね。
岩とか山とか水とか枝とか。こう人間が作り出せないもの
しかも偶然の産物での造形であり景色であり
あー、なんか美しい。どこまでもピュア。時に残酷で、複雑で、新しい。


そんなこんなで仕事も始まって、
これからまた忙しくなりそう。


ずっと建築やりたいのかなー、自分がわからない。
ただ面白い大人になりたいなって魅力的な人になりたいなって、何か一個ピュアなものをずっと持っておきたいなって思うだけで、


こう絶対独立したいとか、一流になるんだっていう強い意思があるわけではなく
でも自分にとって新しい境地とかは常に更新したいけど、
なんか漠然とどうしたいのかなーってちょっとわからなくなってきてる。


平成は間違いなく私の青春時代でした。
来年1月には30歳。
0話 令和 REIWA LEIWAはビューティフルハーモニー
いい名前だね。万葉集だって。
よろしく。

立ち直り

3週間くらい休日出勤して、繁忙期というか職場のピリピリ感は薄くなり、自分の辛いという時期も前よりは薄れて、今週は穏やかなメンタルで仕事できた。
それもこれも番頭さんにスケジュール感と人間関係について相談できたから。
一回誰か第三者に話して状況を整理してもらうって大事だなあと実感した。
そうしてシンガポールの図面提出が一応終わった。
後日対応とかあるだろうけど、とりあえず一旦落ち着いた。


そして、来月ついに親に宮川くんを会わせることに。
どうなることやら。宮川くんも忙しくて来週フィリピン、次の週は中国、次の週はブラジルに行くみたいだから、日程合わなかったら次の月かな。
いろんな国の景色を見れていいなー、お土産だけが家にたまってく。笑
でも具体的に少し動き始めた感じ。


設計事務所で働いているけど、自分がどうなりたいのか具体的に考えていかないといけないなと思い始めた。自分を見つめなおさないと。
体力的にずっとできるわけないんだから。
でもせっかく入ったんだから進むしかない。そしている間に吸収して自分のものにしていかないといけない。
ポジティブ人間じゃないから不満たらたら言いながら頑張るしかないな。


何かを開いて行くために繋いで行くためにと思って本を買った。
GAのPLOT 石上純也です。
数ページ読んだだけだけど心に残った言葉が多くあるので少しメモ的に書き込んでみようかと。



神奈川工科大学KAIT工房 取材ページ
隣同士の場所の関係性やさまざまな空間同士の繋がれ方がフレキシブルになっている方があるスピード感を持って空間を自由に変えていけるのではないかと思うようになってきました。


柱の断面形状、位置座標、角度を1ミリ単位で調整する。


305本のフラットバーによって構造を成立。


空間を粘土で「手びねり」してつくっているような感覚


誤解を恐れずに言えば、一般的な建築は「省略」があると思うのです。この場合の省略とは、「思考の余白」のようなものかなと思います。例えば、壁であれば、始点と終点を決めれば、その間はある程度は省略されている気がする。そうすることで、建物が抽象的になって行くような気がします。そこがある意味、美学にもなっているのだと思います。だけどこの建物では点と点の間に、物凄く具体的な空間が広がっている。省略できない具体的な空間をどのように捉えたらよいか、どのように抽象化できるか、そういうことが大きな課題だったように思います。


場所の持つ特徴が情報コンテンツの中で、非常に重要になってきているのではないか。
つまり、道具が進歩し、場所や時間の制約から解き放たれて、「どこでも/何でもできる」状況に向かっているけれど、同時に「どこで何をするか」も重要になっていると思うのです。
人々はかつて考えられないくらい自由に、簡単に世界を動き回れるようになった結果、どこに行く価値があるかを考え、そのことが重要になってきている。
今いる場所と同じような場所に行くのであれば、わざわざ動く必要はないかもしれない。そのようなモビリティのポテンシャルに対する価値観として、個別の場所の意味が強くなってきている訳です。グローバルなものとドメスティックなものが裏返しのものとして同時に進行している状況に、みんな気づいているのではないでしょうか。


キリンアートプロジェクト2005「テーブル」
アート、建築、家具・・・区別する意識は特にない気がします。「つくること」なら何でも、同じように興味があります。思考の方向性も、特に違いはなくて、そこに何らかの差異があるならば、それは受け取る側の意識の違いでしかないのではないでしょうか。


気づいた途端に自分の取り巻く空間までガラリと変わるような存在の仕方って魅力的なんじゃないかと僕は思っています。街を歩いていて、その場の印象まで強くなることがあるじゃないですか。


「見る人に謎解きを強いるようなヒントは極力消したい」といつも考えています。
天気が変わったりするのは、毎日起こっていることだけれど、それがどういう原理で成り立っていることだけど、それがどういう原理で成り立っているかまで考えながら生活している人はいない気がします。普通にはありえなさそうなんだけど、いかにもそれが普通に存在しているから「まあこういうこともあるんだろう」というようなものになったらいいなあと思っていました。何気なく自分の価値観が新しい価値観に置き換えられるような感じがいいと考えていました。



とまあ、なるほど。とか心に響く言葉が結構詰まっている感じです。
長くなってきたので一旦終わり。