立ち直り

3週間くらい休日出勤して、繁忙期というか職場のピリピリ感は薄くなり、自分の辛いという時期も前よりは薄れて、今週は穏やかなメンタルで仕事できた。
それもこれも番頭さんにスケジュール感と人間関係について相談できたから。
一回誰か第三者に話して状況を整理してもらうって大事だなあと実感した。
そうしてシンガポールの図面提出が一応終わった。
後日対応とかあるだろうけど、とりあえず一旦落ち着いた。


そして、来月ついに親に宮川くんを会わせることに。
どうなることやら。宮川くんも忙しくて来週フィリピン、次の週は中国、次の週はブラジルに行くみたいだから、日程合わなかったら次の月かな。
いろんな国の景色を見れていいなー、お土産だけが家にたまってく。笑
でも具体的に少し動き始めた感じ。


設計事務所で働いているけど、自分がどうなりたいのか具体的に考えていかないといけないなと思い始めた。自分を見つめなおさないと。
体力的にずっとできるわけないんだから。
でもせっかく入ったんだから進むしかない。そしている間に吸収して自分のものにしていかないといけない。
ポジティブ人間じゃないから不満たらたら言いながら頑張るしかないな。


何かを開いて行くために繋いで行くためにと思って本を買った。
GAのPLOT 石上純也です。
数ページ読んだだけだけど心に残った言葉が多くあるので少しメモ的に書き込んでみようかと。



神奈川工科大学KAIT工房 取材ページ
隣同士の場所の関係性やさまざまな空間同士の繋がれ方がフレキシブルになっている方があるスピード感を持って空間を自由に変えていけるのではないかと思うようになってきました。


柱の断面形状、位置座標、角度を1ミリ単位で調整する。


305本のフラットバーによって構造を成立。


空間を粘土で「手びねり」してつくっているような感覚


誤解を恐れずに言えば、一般的な建築は「省略」があると思うのです。この場合の省略とは、「思考の余白」のようなものかなと思います。例えば、壁であれば、始点と終点を決めれば、その間はある程度は省略されている気がする。そうすることで、建物が抽象的になって行くような気がします。そこがある意味、美学にもなっているのだと思います。だけどこの建物では点と点の間に、物凄く具体的な空間が広がっている。省略できない具体的な空間をどのように捉えたらよいか、どのように抽象化できるか、そういうことが大きな課題だったように思います。


場所の持つ特徴が情報コンテンツの中で、非常に重要になってきているのではないか。
つまり、道具が進歩し、場所や時間の制約から解き放たれて、「どこでも/何でもできる」状況に向かっているけれど、同時に「どこで何をするか」も重要になっていると思うのです。
人々はかつて考えられないくらい自由に、簡単に世界を動き回れるようになった結果、どこに行く価値があるかを考え、そのことが重要になってきている。
今いる場所と同じような場所に行くのであれば、わざわざ動く必要はないかもしれない。そのようなモビリティのポテンシャルに対する価値観として、個別の場所の意味が強くなってきている訳です。グローバルなものとドメスティックなものが裏返しのものとして同時に進行している状況に、みんな気づいているのではないでしょうか。


キリンアートプロジェクト2005「テーブル」
アート、建築、家具・・・区別する意識は特にない気がします。「つくること」なら何でも、同じように興味があります。思考の方向性も、特に違いはなくて、そこに何らかの差異があるならば、それは受け取る側の意識の違いでしかないのではないでしょうか。


気づいた途端に自分の取り巻く空間までガラリと変わるような存在の仕方って魅力的なんじゃないかと僕は思っています。街を歩いていて、その場の印象まで強くなることがあるじゃないですか。


「見る人に謎解きを強いるようなヒントは極力消したい」といつも考えています。
天気が変わったりするのは、毎日起こっていることだけれど、それがどういう原理で成り立っていることだけど、それがどういう原理で成り立っているかまで考えながら生活している人はいない気がします。普通にはありえなさそうなんだけど、いかにもそれが普通に存在しているから「まあこういうこともあるんだろう」というようなものになったらいいなあと思っていました。何気なく自分の価値観が新しい価値観に置き換えられるような感じがいいと考えていました。



とまあ、なるほど。とか心に響く言葉が結構詰まっている感じです。
長くなってきたので一旦終わり。

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