読了記録1「安藤忠雄 仕事をつくる」

昨年図書館でかりてきていた本「安藤忠雄 仕事をつくる」を読み終える。これからは読み終わった本を自分なりに解釈し、言葉に変える事も積極的にしていこうと思う。
数時間で読み終えることができた。とても読みやすい。一貫して感じたのは、建築をつくるということは闘いであるといった姿勢である。
本の中では調整という言葉も使われていた。
クライアントとの調整、予算の調整、施工上での調整、法規との調整、、、数えきれないほどの調整が同時進行でいくつも重なり合う。これはものをつくる時には生じる問題だ。私も仕事をするようになり、それは早いうちに理解できた。急な追加変更、修正に追われるのだ。施工が終わっても管理の問題が生じる。
その中でも自分の芯を曲げない精神力、ぶつかりそのなかでも自分を失わないという心が大事であるということを言っておられたように思う。最近の若者には野生力や執着心が足りない。最近の若者は~と言われることには懲り懲りしてしまうのだが、このように尊敬できる方の言葉であればすっと心に入り込んでしまうから不思議である。
建築の教育本というよりは人としての生き方を語っているような本であった。
認めるものと認めないものの区別をしっかり自分の中で持っている。これは教育で一貫して数字で人を評価する一律の感性ではなく、大勢の人の固定概念に従うでもなく、一個人としてどのように生きるべきかどのように行動するべきかをよくよく考えろよといったようなメッセージがある。これは石山氏も本の中で度々言っておられる。精神面で奮い立たせられる思いと強い衝動のようなものが自分の中に巻き起こる。
この本は東日本大震災以降に書かれた部分が冒頭と最後に出てくる。おそらく2011年あたりに書かれた部分かと思われる。
本の刊行日を見ると2012年3月11日になっている。これはおそらく意図的であろう。
3月11日という日は2011年以降日本人にとって特別になった。
この日によって「これから」のことを深く考えなければいけないという意識は誰にでも根付き、それはいとも簡単に勝手に芽生えた。そのくらいあの映像は衝撃であったし、同じ日本で起きている現象とは思えなかった。作家やなにかを考えた人達は「自分たちになにかできないか」と考え、なにかしらのリアクションをしてきた。私も卒業設計という時期にちょうどぶつかり、震災以降の考えを提示する場所を頂いた。結果的に新宿という賑わった場所に一時の休息場所を設けるという案に落ち着いた。これはベストだったのか、自分が考えられる最良のものであったのかを考えるとどうしても納得できるものではないが、これはこれでありだったのかもしれないと考えるようになってきた。東屋という精神的な安息を与える場というものは、個人によって安息の概念は異なるしどうしても精神論につながってしまうから評価しづらい。当時は作り込みも足りない上、言葉も拙いときて、どうしようもないくらい自信がなかった。結果ギリギリで卒業はできたものの、卒業生の作品集には当然載せてもらうことはできなかった。案自体は作品集ぐらい載ってもよかったのではないかと思う。ただ見栄えもしないし案としてしっかり確立されていないのが教授達にとっては論外といった感じであったのだろう。インテリアの先生には結構高い評価があったと研究室の教授に言われた。それだけで少し報われた気分になったのを今でも覚えている。


話を戻すと、安藤氏が講演会などでよく引用するというアメリカの詩人、サムエル・ウルマンの「青春」という詩の言葉が印象にのこったので、ここに残しておきたい。


’’青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の持ち方をいう。・・・人は年齢を重ねただけで老いるのではない。理想を失ったときに初めて老いる。・・・情熱を失うときに精神はしぼむ’’


その通りかもしれないと思う。私は理想を失っていないので、まだ青春真っ盛りであることを自覚する。
受容力を高めていこうと思う。そのために本を読み、人と話す。
吸収・受容を繰り返し、そのなかでも自分というものをつぶされない、そんな人間になりたい。

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