4月3日

3月末で仕事をやめた。まあ、色々おもうことはあるけど、
(ぎりぎりまで納品に追われて、結局有給消化できなかった、とかとか。)
良い職場だったと現段階では思ってる。
上司には「社会基盤はちゃんとつくってあげたから、どこでも行けるよ。授業料ほしいくらいだよ。」っていわれたけど、「その分残業したので許してください。」って言っておいた。笑 


仕事終わった後に行っていた設計事務所も2月-3月という2ヵ月間でおさらば。
3月末に2つの場所の引き継ぎ作業をするという不思議な体験をして、本当にドタバタと片付けて節目を迎えた。


今年は春が、本当に春らしい。終わらせて、4月から本当に新しい生活という感じで。
学校行きながら、2級建築士の試験受けるまではとりあえず自分で管理しながら頑張るって感じだな。


ここで春っぽい写真を1枚。
今年とったやつじゃないけど、なんだかいーなあって思って。
1本の木で季節の移り変わりを体現しているような。
確か浅草あたりで撮ったかな。何の木だろ。


今さっき、これは日記にかかなければっていう事項ができたから書いてるんだけど。


当たり前のことを再認識したんだけど、
自分が新しいと思っていたことが実は既に成立していることって結構あるってこと。


今藤村龍至さんの「批判的工学主義の建築」を読んでいて。
1995年に開催されたせんだいメディアテークのコンペ。
伊東案と古谷案の2つの存在と考え方について読んでたんだけど。
うっすらとどういう案だったか元々知っていた。
2つの案ともレムコールハースのラヴィレット公園が根本にあって。
その案は、異種多様な用途が積層されたニューヨークの超高層を例にして、
それを横にしたようなストライプ型の公園を提案していて、当時コンペで2等だった。
その案と同じで、2案は用途を同施設に同居、混在させながらもミックスさせるという考え方は両方とも同じ。情報空間としての在り方と物理空間のバランス。


で、古谷案は当時実用化されつつあった物流倉庫の管理システムを応用して、
図書館の蔵書に1冊ずつタグを取り付け、施設内のどこにでも返してよいという風な提案をした。だから返却先がカフェ内でもよいし、ギャラリー内でもよいしっていう風にした。


当初,それを実現化することと、管理上の観点から難しいってことで落選したけど、
1995年から20年経って、システムが実現しているところがあって、
それは図書館ではないんだけど、Amazonの物流倉庫!


Amazonは商品はすべてネット注文。膨大な商品を2か所の倉庫で管理している。
商品を入荷した際に空いている棚にランダムに収納される。情報端末を持った「ピッカー」と呼ばれるスタッフが端末に記された情報に従ってひとつずつ注文の品をピックアップしていく。整頓して並べるよりも、整頓しない方が効率的ということもある。
そう。実現している。古谷案がもう実現できるってこと。


それもそうなんだけど、昨年図書館の課題で私も似たようなことをかんがえた。
図書館のどこにかえしてもよいって風にして。
その課題は美術専門書の図書館で南アメリカ、北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア等の海外の書籍を扱うっていう条件だったから、国籍をミックスさせるっていう意味でも整頓された本棚にしなくてもよいっていう風に考えた。
それって現状の図書館ではあまり普及しているシステムではないし、結構新しいこと考えたんではないかな。って思っていたんだけど、
もうすでに考えている人はいるし、しかももう一部では実現しているだなんて。
ほーう。なるほど。無知って怖いなって実感しましたね。ええ!


どうしても自分の興味あることしか掘り下げようと思えないんだけど、
やっぱり最近のことも知っておかないといけないし、歴史も知っておかないといけない。
その上でモノを考えなければいけないなって実感した一日でした。

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