8月5・6日

さて、ちゃんと書くことがいつまで続くことやら。
昨日は国領の現場から直帰で、そのまま早稲田のスタジオにいってスケッチの練習。何人か来てたなー。授業ないのに、えらいね。自分も含め。笑


スケッチは影とかを丁寧に書こうと思って鉛筆の濃さを使い分けて。最初本当下手だなーと思って心折れるかと思ったけど、根気強くかいていればなんとか形になってくるもので。そして、私の集中力を助けてくれるのは、というか没頭させてくれるお供は何年か前からずっとToeの音楽。広島で一人暮らししていた時も、大学の時も、課題やってる時も徹夜の時も。一人暮らししてた時を除けば、ずっと自分の部屋を持ったことがない私にとって、音楽こそが壁となってくれたというか。両耳にイヤホンして音聞いてると、脳梁あたりでビリビリってつながってる気がする。それが心臓あたりまで降りてきたりするんだよな。あーしみ込んでくるーって感覚がたまにある。そういや今日整理整頓してたら今年の健康診断の結果に心臓がなんか移動性心房調律ってかいてあったからドキッとして調べてみたら、まあたいしたことないみたい。音楽と関係ない話。


脱線したけどスケッチかいた。模写だけど。
影とかこうかかるのかーとか書きながら勉強になった。ボブロス、いつやろうかなー。


そして、今日は休日。模型材料の破片とかが鬼のようにたまっていたから整理して、
本棚とか化粧品とか整理。
そしたら、高校の時から集めていた「ピューッと吹くジャガーさん」全巻と「僕等がいた」全巻がでてきた。
これだけはほぼ最初らへんから毎回新刊出るのを楽しみに、待ち焦がれながら何度も読んでたんだよー。ジャガーさんでは、私の人生において笑いの基準が完全にこの漫画基準になった。ツボが変だから、仕事中とか笑うと変な目で見られる。
「僕等がいた」は本当に本当にずっと出るの待って、最終巻ではもう大学卒業あたりだった。
そして整理途中に「僕等がいた」を1巻から読みだして、先ほど最終巻まで読み終えた。
はあー。やっぱ少女漫画の中では重さがピカイチですわ。ただ両想いになってくっつくだけじゃなくて、実は高校編の時もすっごいラブラブだったような風に思ってたけど読み返すと全然そうじゃなくて、お互い気持ちが追いつかなくてもめてばっかりというか、あー多分高校時代恋愛とかしてたらこんな感じ?でも状況的にレアな気がするけど、うんうんそうだよねって。高校の帰り道に阿佐ヶ谷の本屋でコミック雑誌立ち読みしたなーって読んだ時のシチュエーションまで思い出したり。


大人になると時間ってものの荷重が大きくなってきて、変わらないといけない部分とか自分の中で守っていかないといけない部分とかを明確に線引きしていかないといけないような気になったりするんだけどそれで皆悩むんだよね。
今がすべてって思える瞬間を共有できているような感覚を大人になっても持って生きていけたらいいよね。私は高校の時恋愛しなかったから、最初読んだ時は「高橋」が羨ましかったな。でも大人になった高橋の気持ちは大人になってすっごい理解できるようになったというか。
いろんな人にあったり、仕事したり、目まぐるしく生活しているんだけど、やっぱりこの人以上の人はいないんじゃないかっていう感覚。こういう人にはもう出会えないんじゃないかっていろんなことあるたび毎回思い知らされるみたいなの。多少理解できるようになったな。
だから大事な人がそばにいるときは時間を大事にしようと。できる限り会える努力しよう。いつ終わるかわからないし。


「矢野」「高橋」はなんか本当に竹内くんの犠牲のうえで成り立ってるなーって実感。
竹内くん、色々超越しちゃってるもんね。でもこの漫画ほどハッピーエンドでよかったと思う漫画はないよ。基本的にこの漫画、想いが強い、重い。良い意味でも悪い意味でも。
本当読み返していろんなこと思い出しちゃったし、考えちゃった。
高校生や大学生に戻ったみたいな感覚になった。ふおーん。


なんでか感傷に浸ってる感じになってきているので、ここらへんで終了。

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