ひさびさに映画をみて

昨日イメージフォーラムでアピチャッポンの「光の墓」をみた。タイの映画を見るのははじめてだ。とても素晴らしい映画だったのでただなにか書こうと思った。


眠り病の兵士と主婦ジェンの物語。ある男の見る「現実」と女性がいきる現実はちがう。眠り病の兵士がいる病院は何千年も前に王国の間で戦があり、病院がある場所には王様たちの墓があった場所。眠りつづける兵士たちの生気を吸い取っている。その兵士が夢の世界では別の世界をいきている。それを垣間見て夢を共有する女性。肉体と精神が離れているのだ。現実のような夢、夢のような現実に生きる二人が穏やかな時間を過ごす。

映画館ではとても眠くなった。実は最初らへん寝ていた。心地よい。おそらく眠くなったのは私だけではないと思う。オープニングではアピチャッポンのインタビュー映像、その後2分間程度画面には何もうつらない。鳥の声や自然の音。おそらくそこらへんから記憶が途切れている。こんなに穏やかで豊かな時間を過ごせる映画はなかなか珍しいのではないか。タイの風景は私にとってとても豊かな風景にかんじた。主演の女性の話し方、ストーリーにあまり抑揚はない、とても自然な成り行きでストーリーは進んでいく。そんな豊かな風景もすこしずつ変わっていく。古いものは壊され、新しいものができていくのだ。土地の記憶。過去・現在・未来があり夢と現実、生と死が日常には常につきまとっている。それは普段気づかないが、ふり幅にある現在・その先の未来がどんどん時間によって固定化された過去に変わっていく。固定化されていく過去が増えていくほど、過去に・未来におびえることがある。ただ過去になったものは夢のように曖昧で回想する頭の中での出来事となり現実味が薄れていく。過去と夢の中はとても似たようなものがあるように思えてきた。宮川君と映画を観終わった後、話せば話すほど下の奥の方に潜り込んでいくような感覚になり、少し怖くなった。あんなにも映画自体は穏やかであるのに、深く精神性が高い映画は出会えない。とらえ方がいくつもあると思う。疑問に思うことや気になる点がいくつかあったが、それはなんとなくはっきりさせなくてもよいような感覚になる。謎を解き明かすような、それはきっと重要ではないのだ。ただ曖昧に終わるというのではなく最後には各自観た人がなんらかの結論を見いだせるような物語だと思う。


風景が素晴らしい。風がここまで届きそうな、不思議な作品。

これはストーリーを体験するのではなく「体感」に近いのではないか。とても素晴らしい整頓された風景とかではない。自然多めと非自然・人工物が30%くらい出てくる、そういう割合も珍しいなと。


その映画を見る前は学校の人たちと花見をした。砧公園はあまりばか騒ぎをしている人がいなく、結構よい。曇りの天気で少し気温は寒かったため例年より人も少なめだったらしい。


昨日は充実していた。沈殿していたものをかき混ぜてもらったような。それがずっと起こっているとよいのだけど、それもなかなか難しい。

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