ぎろっぽんのフォスター

展示を見てきました。

展望スペースと一緒になっている部分での展示だったので、最初入ったときからどうにも期待できないなとちょっと期待値が低かった。初期の作品はフラーの意思を継いでいる部分が多いから、概念寄りというか表現力と経済(資金的なことが)足らない部分でなにか自分の良しとする思考を実現しようとするハングリー精神が垣間見えて、とてもじっくり見ることができた。展示自体のボリュームはかなり多く、時間かけてみたら3、4時間くらいかかるんじゃないかな。竣工時期が最近になるにつれてハイテク感がどうもだめで、後半飛ばし気味に見たけど結果2時間くらいは見てたもんな。


ただ、フォスターの作品をある程度知っている人であれば多分つまらないだろうなと思った。模型とパネルの説明時々映像という感じでとても教科書的というか「建築の紹介」的な展示だったから。幸い、フォスターの作品をそこまで知らない建築物もかなりあったから私は半分は面白かった。勉強になった。


建築とかの展示ってなかなか難しいなと思うんですよね。どうにも作品の紹介とかになってしまうというか。現実味がないというか。その人の作品集読んでるのと一緒なんじゃないかって思う展示が多い。だけど、最近あったゲーリー展はよかった。その建物のスタディ段階を順序立ててみせて、そこに苦しみが見える。そして意外な思考順序をしている。ボリュームをつくって、それをどんどん壊していく。通常、コンセプト模型からつくってリアルに落とし込んでいくから。ゲーリーはリアルから入ってどんどん崩していく。それの過程は面白かった。スタディ模型の展示にその人の血肉が見えると、急に自分の中にも入りやすくなる。そういうのはフォスター展にはなかった。


石山修武が本で書いていたが、センズベリー視覚芸術センターは「地面との接点」が美しいと言っている。有能は建築家は地面との接点を何度もスタディする。

石山修武の考えていることや本に書いていること、日記に書いていることを合計すると膨大な量になる。これをすべての言葉を受け取るのはとても難しい。が、この人みたいに物事を考えた。もっと思考を知りたい。響く。純粋なときめきが押し寄せて困る。この人の書く文章を見ると、自分の考えみたいなのが吹き飛び自分の考えとか個性がまるでないんじゃないかという気持ちになる。


最近みた村野藤吾の箱根プリンスホテルの本館の「地面の接地面」にリシン吹付けのような塗装がされていて、外壁の仕様と連結しているような見えがかりになっていた。

これは明らかに地面との連結、接地面を考慮してのデザインだったといえる。

私の中で、フォスターからはじまりゲーリーと比べて、石山修武を思い出して経由して村野藤吾へつながった。


地面の接地面を考えるというつながりで

最近宮川くんに誕生日祝いをもらって、とてもよい靴を買ってもらった。デザインも本当に本当に気に入っている。人間も地面の接地面はよく考えて靴を選ぶべきなのだと思う。

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