4月散ってから3

やはり時間があると、自分の考えたこととかいろいろ書いて残しておきたいと思ってしまう。ここ数年で稀に見るすごい頻度で日記書いてる。


そもそも私が個人主義的なところがあるという理由で設計事務所ダメだったわけだけども
能力よりも性格的な面でダメだった訳で。能力がずば抜けていれば雇ってもらえたんだろうけど。


自己批判も含めて自分の性格を一回分析してみる。
個人主義というのは育ちも関係しているかもしれない(正確にいうと育ちは関係なく、そういう状況に対して自分がとっていた行動についてなんだけど)と思うのは
私は実家暮らしで都内の結構便利なところに住んでいるのもあり一人暮らしする必要性を感じないから28歳にして、実家から離れたのは広島で一人暮らししていた1年ちょっとだけということもあり、長い間実家にいる訳だけども
それ以外の期間自分の部屋を持ったことがない。


それって結構特殊というか完全に私を形成する根幹に関わってくる話で
つまり常に誰かがいる、誰かからなんとなく見られている環境に26−7年そうしているわけで、そうなるととてもおしゃべりな母とかの話や寝る時間やあんまりおもむろに遊んでいると注意される訳で、漫画なんかも隠れて読むものって意識で携帯で読んでるし、色々人に合わせたりしないといけない訳で。


ここまでだとむしろ個人主義になる要素ないように感じるけど、そうじゃなくてむしろ私は自分の部屋を持たないことで壁を自分の内部で作るようになってしまった。


果てしない母のおしゃべりとかに相槌を打っていると一日が終わるので、自分の集中したいときは「聞かない」っていうようになったり、それは意識を脳の中で開いたり閉じたりっていうのが自然にできるようになって。それもあって意識しないと「人の話を聞く」ってことがどっちのつまみになっているか適当になっている時があって。自分の内部に少しぶ厚めのフィルターがあることで自分をあまり変えないで他人に合わせるってことを身につけたっていうと良いのか悪いのか。人を話を聞かないってことで自分のプライベート獲得してきたっていうそういう状況。


結果1「人の話を聞く・聞かない」


あと、自分が思ったこと、感じることっていうのが出来事があってからのタイムラグがあって、アウトプットするまでに時間がかかってしまう、そうなると頭の中でぼんやりと考えていることを相手に伝えるのは至難の業でいきなり話し始めるとなんとなく「で?」っていう内容になってしまうというのはある。特に建築に関してはそうかもしれない。
つまり議論みたいなのできない。ある程度形になってからでないと相手に見せて共通の話題ができないっていう弱さはある。それは慣れもあるかもしれないのでこれから克服していくてことで。でもこの日記も自分の考えたことをアウトプットして言語化していくことを意識的にやっているっていうのもあるし、一応2014年からやっているから少しは成果があっても良いきがするけど。でもあれか。それだったらもっと頻繁に書いていないとダメか。。


結果2「アウトプットまでの速度」


集中すると周りが見えなくなるのもたまにありうることで、それは例えば恵比寿の職場から帰っている時、気づいたら中野の駅を通過していたり。いきなり意識が戻って「え?」知らない内に乗り換えてたんだ。っていう。
思考と行動がバラバラになっていて、思考は常に働いているんだけど、別のことを考えていて、行動は普段の連続パターンからいつもの帰り道をなんとなく勝手になぞっていた。そういうのがたまにある。それが他者の目にそういう思考と行動がうつった時「個人主義」と思われかねない行動をもしかしたらしているかもしれない。しかも、それに気づかない私。他の人が忙しそうにしているのを気づかないで自分の作業したり、ってそういうことだろうな。


結果3「思考と行動のバランス」


どれも仕事に必要だなー。それの3つのバランスがうまくとれてないとダメなんだろうな。仕事するときは。
この3つが整っていないという状態が個人主義という総合的判断であり、そういう印象を与えるってことなんだな。うーん、全部をなおすっていうのは難しいけど、
どちらにしても歩み寄りが必要な訳でそれはやっぱり意識するだけで変わってくると思う。ポジティブに考えると。


今日はポートフォリオの作業をだらだらとし続けていた今週の毎日とは別のことをしてみようと思って。
現代の気になる建築家の雑誌を出版しているところに注文のメール送ったり、いろいろな設計事務所のHP見たり、今をときめく建築家のドキュメンタリーとか思考を話しているところだったり、建築家の対談とかをyoutubeで見たりした。


今の30-40代の建築家の人たちを中心に見たんだけど、やっぱりスタンスをしっかりとっている人たちが強いっていう印象があった。それは社会的ポジションっていう広いビジョンから、建築というジャンルの中での立ち位置みたいなのをしっかり言葉にして明示してそのスタンスを場所どりではないけど、今の時代というのを解釈しながら独自のプロセスを踏む。そして闘うっていう意識。


印象に残った動画に対して一つ一つ感想をまとめよう
どれも1時間半から2時間くらいだから映画3本見たようなボリューム。


「始まりから、少し先のことまで / マウントフジ」


ここはなんとなく元々気になっているところで、ポートフォリオを送るか検討しているところで、HPだけではなんとなく気持ちが固まらないところがあって聞いてみた。
面白い。最初の150万で孤立した部屋(作業部屋)を作るっていう予算のない中で考えた思考プロセスが、構造的にも意匠的にも合理的で1つのシステムで空間に多様性を生むっていう。でも処女作だけでなく全てに一貫してそのような考え方がベースにあったこと。構造をある程度設計事務所内で検討して成り立つようにしていること。自然にある秩序があってそれは有機的なものというよりも幾何学っていう考え方で、
あと、原田さんが最初に興味を持った、美しいと思ったのは「船」っていうのが良いなって思った。水面という常に揺らいだ場所を横断する「船」というのはある意味場所と場所をつなぐ橋とも言えるし、建物とも言える。徹底的に合理主義であるように見え、強い強度があるにもかかわらず、軽やかであり美しい。それを理想に掲げるのはなかなか難しいのもあるけど、そういえば石山修武氏もある本で造船の技術についての憧れ的なことを話していたような。
明快な構造システムで多様な空間を生むっていうのは一貫していてそういう話を聞くと尚更良いと思った。


「AGシンポジウム 建築的思考の可能性」


トラフの鈴野さんとライゾマティクスの斎藤さんが話されていたことが印象的で
トラフはやっぱり作家性みたいなのが重視されているのが印象的で細かい視点から広げていく思考方法っていうかインテリアも建築も垣根なくフラットに横断していくしなやかさがあって、それを楽しんでいるような作品が多い。遊び心みたいなのが作品に出ていてそれはやっぱり話を聞くと魅力的で。アーティストとしての世界観がはっきりしているから故に依頼がくるんだろうし。
ライゾマティクスは私的にはパフュームの仕事している人たちっていうイメージしかなくて、元は建築出身っていうのに結構驚いたっていう。でも広告業界とか美術作家を経て、やっぱりCGみたいな少し建築的なこともやっていて、今はディベロッパーと関わりながら建築家とディベロッパーの間に入ってプランニングやコミュニケーションをとっているという仕事もしているということで、ある特定の専門家であるというか多ジャンル横断家としてできる仕事をしているという感じで。アーキグラムやスーパースタジオの話が挙げられたのは、私も好きなので少しテンション上がった。建築家が店舗とか展示とかデザインする時に空間性とか作品性とかだけでなく運営の仕方とかマーケティングを作っていく段階でしっかりしていくような人が必要という意見には私も同感です。


この動画を見て思ったことは領域の横断、仕事がシームレスに繋がっていてそれは建築であるかどうかという話ではない。んだけどシームレスっていうスタンスの人は結構いて、なんでも屋・万屋化しているのかなという印象。でもその万屋でも横断の仕方とか横断するジャンルが違うよっていう大きな違いもあるし、それはスタンスの明示の仕方っていうので仕事の依頼も種類が違うのかなって思った。


「なぜ私は「建築」をやらないか。「建築」をやるか。 嶋田洋平×藤村龍至」


これは相反する同世代の建築家同士の議論の様子で、面白かった。


総括するのが難しい程結構色々な話をしていて、私は嶋田さんの考え方に賛成なタイプでものを考えてきたけど、藤村さんの考え方っていうのもやっぱり面白い。
ま、多分賛成とかそういうのはあるけど、まだ自分の中で定まっていない部分があるんじゃないかって思った。このほんとに反対な二人が「いやいや、だから」って被せ合いながら議論している意見は両方とも頷けたということ。
それはまだ私は自分のスタンスがつかめていないし、方向性が定まってない。
どちらにも憧れがある。
建築学生の教育の話。これは深刻に変えなければいけないっていう話。
建築家のスタンスの話。これは意識的にマニフェストを掲げてそれを実行していくっていう仕事の仕方。
今の時代を解釈してアプローチの違い、思考の違い。
あーー、ちょっとこれはまだ言葉にできないな。
また今度にしよ。


すごい長くなったけど、今日は終わり。

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