10月11日

てっぺん超えたので、ここでもういっちょ。
今日は予定通り、代官山のアートフロントギャラリー行ってきた。
大巻さん 新作ということで。
曲げたステンレスの裏に色塗っていた作品は、色の魔術師といわれる建築家 カーサバラガンの自邸でもキャンチの白階段の裏に黄色をぬっていたのを思い出した。


照明を使わずに支えている壁側にはぼんやりと余韻のように黄色がうつりこんでいる。そのディテールは結構前から自分が建築家になったらこっそり使用したい要素のひとつだった。その気持ちを今回再確認することになった。大巻さんは蛍光色を裏に使っていたな。
暗室内にあるステンには裏に色は塗装されていなかったが、乱反射しあう影がおもしろかた。水面のようでもあったような。もっとくっきり出たらもっとおもしろかった気もするけど。自分がうごくと複数の自分の影が壁をまわる。部屋の狭さがちょうどよい。一人で見たい展示だ。台と曲げたステンの間に消しゴムみたいなのかませていたけど、あれはバランスとるためかな。修正ペンの絵や海図の絵もはじめてみた。ふむ。


その後はワタリウムのナムジュンパイク展を見に行った。
4階から2階へとすすむ。結構前からこの作家をどのように理解したらいいのかと思っていたが、「ラディカルこそ」と書いてあってとても納得するものがあった。
全体的に闇がなく、世の中のものを肯定的でポジティブな姿勢というか、そういうのがうけとれた。少し表現がチープになってしまうが、純粋な実験をずっとしているような。


ビデオとかテレビとかそこには実体がないものでただ信号を読みとった結果がうつしだされているものをわたしたちは当たり前のように実体として受け取る。
それは携帯であってもそうだし、そういったものがわたしたちの生活を豊かにするものとして浸透しているし、かなりの信頼度を置いていることは確かで
情報過多の時代に情報を疑うことはできるものの、存在の有無は結構、虚構でも認めてしまっているもので。なんだか実体がないものに依存する世の中は随分未来的で、また虚無をつくりだしている。人間も宇宙人みたいになってきたなという印象。


その展示みにいったあとは学校。そのあと学祭の打ち合わせ。
明日から仕事だ。なんだか最近憂鬱だ。鬱蒼と。エネルギーをどこから持ってきたら
いいんだろう。こんなんじゃだめだ。
結局自分が自分を認めないと、誰が自分を評価してくれるんだろう。他人に評価や依存する前に自分がよいと思うことを強固としなければいけない。求めないで強くなれ、自分。


そういえばワタリウムの帰り、原宿教会の塔が見えて驚いた。こんな塔建っていたっけ。
しかもなにか違和感。抜けている部分がおかしい。メンテナンス中の普段見れない部分を見た気分。でもそんなことなくて、この状態が完成形みたい。壁が二重になっていて、3面の十字架の抜けている感じがあれなのかな。鐘の上の納まりとかも変わっている。
調べてみたら建物もおもしろそうなカタチ。今度時間見つけていってみようかな。

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